カズの小説 紅の宇宙


 第1話(その1)


     1

 アルフリート・クラインという名の若者がいる。
 エルベルク、トランザの両大戦で名をあげたクレティナス王国の英雄である。彼と戦った将兵の中には、「赤の飛龍」と呼ぶ者もいる。彼が燃え上がる炎のような赤い髪の持ち主であり、戦場で飛龍のように翔めぐるその戦い方が芸術的であるがゆえに。
 この年、二五歳になるアルフリートは平民の出でありながら、クレティナス王国宇宙軍の将官であった。五年前、彼は士官学校を卒業したばかりの少尉という身ながら、上官に進言し、敵に包囲されて絶体絶命の危機に陥っていた軍を、奇策をもって無事に退却させている。彼の地位は、彼の年齢の二倍ほど長く生きてきた将官さえ凌駕するその功績によって築き上げられていた。
 少将、王国では五○○隻の艦艇からなる艦隊の司令官か、銀河各地に散らばる基地要塞の司令官の任にあたる。現在、クレティナス王国には四八の艦隊があり、各地に派遣されていたが、アルフリートはそのうちのひとつ第四四艦隊、別名「赤の艦隊」と呼ばれる宇宙艦隊の司令官を務めていた。

 漆黒の宇宙空間に、創造神によって生み出された巨大な天体の光にまじって、人間というちっぽけな生命につくられた光の群れが動いている。まるで川の流れのようだ。光は点いたり消えたりしながら、ある一定の方向に向かっていた。遠い宇宙から眺めれば、実に美しい光景であった。銀河の川はゆったりと、そして整然と流れていた。
 しかし、宇宙を旅する者にとっては、それは、美しいなどといった感傷とは程遠いものとして映るはずだった。
 側面に赤い竜のマークを施した五○○隻前後の宇宙艦隊。噂の「赤の艦隊」であった。

 第四四艦隊司令官付き幕僚ファン・ラープ准将は、髪を乱しながら艦隊旗艦「飛龍」の艦橋へと続く高速エレベーターの中にいた。彼は、左手に報告書のたぐいをかかえ、右手に飲みかけのコーヒーを持って乗り込んだものだから、エレベーターが動きだすと思わず転びそこなっていた。
「だいたいここは宇宙空間なんだから、重力なんて必要ないんだ」
 この時代、宇宙を航行する船には、たいてい人工重力発生装置が備え付けられていた。そのため、以前まで問題であった宇宙酔いは著しく改善され、人々は宇宙にいて地上と同じ生活ができたのである。しかし、ファン・ラープは常々重力の恩恵にあずかっていながらも、自分が転びそうになると責任を重力に押しつけたのだった。
 言ってからファン・ラープはハッとしてまわりに人がいないか確認した。そういえば昨日も同じことをエレベーターの中で言って同僚に笑われたのである。
「やれやれ」
 進歩のない男であった。
 ファン・ラープは、彼の上官には及ばないものの二七歳で准将にスピード出世したエリートであったが、外見からも、動作からも、彼の軍隊での階級はあまりにも似つかわしくないものだった。彼を羨望の眼差しで見る同僚達の中には、彼を実力のない運だけの男と中傷する者も大勢いた。とはいえ、それは多分に漏れず真実のことであったため、彼は否定しなかった。奇跡と偶然、彼の進むところ必ずこの二人の女神が微笑みかけていたのである。それゆえに、人は彼のことを強運の男「ラッキー・ファン」と呼んでいた。
 軍人らしくない男のナンバーワンと言えばファン・ラープ准将だったが、ナンバーツーと言えば彼の上官もその候補にあげられた。
 アルフリート・クライン少将は艦長席の一段上にある指揮官席に足を伸ばして座り、シートを倒して天井の全天空スクリーンに映し出される星の海をぼんやりと眺めていた。艦橋にのぼり彼を見つけたとき、ファンは一瞬眠っているのではないかと錯覚を覚えた。「まったく不謹慎な」と自分のことは棚に上げてファンはつぶやき、大股に歩いて上官に近づいた。
「誰が不謹慎だって、ファン・ラープ准将」
 突然のアルフリートの声に、ファンは一瞬たじろいだ。
「あの、いえ。……起きていらしたのですか」
 いかにもばつが悪そうにファンは頭をかいた。そこにアルフリートの意地の悪い視線が注がれていた。
「寝ていたほうが良かったのかい?」
 ファン・ラープにとって敵など存在しえなかった。彼の強運の前ではあらゆるものが彼にプラスに働き、不幸の神は皆集団で手をつないで飛んでいってしまうのである。しかし運命の女神も彼にただ一つだけ天敵を与えていた。アルフリート・クラインという名の彼の直接の上官であった。ファンはアルフリートの前だけではどうしても調子が狂うのだった。
「何か私に用件か、准将?」
 体勢を整えるのに少しの時間を要してファンは応えた。
「はい、先刻、先行させていた索敵艦が戻りましたので報告にうかがいました。結果は周囲五時間以内の距離に、未確認の艦影はありませんでした。どうやら敵は外に出ていないように思えます」
「それは君の意見かい」
 アルフリートの声は柔らかく反感を買う口調ではなかったが、表情に軽い笑みが含まれていた。
「敵は要塞にこもってこちらの出方を待つというわけだ」
「いえ、そう確定したわけでは……それはあくまでも一般論でして」
 ファンは口をにごした。彼より二つ年下の上官が、彼を試しているかに見えたからである。生意気な奴だ、とは口に出しては言えなかったが、ファンには多分に面白くないところがあった。だが、アルフリートはそんなファンの内面を承知して言っていたのである。「……だろうな、今回の敵は今までの相手とは違う」
「承知しています。敵の反応がないのは、要塞にこもっているか、あるいは駐留艦隊をすでに外に出して待機させているか、そのどちらかでしょう。おそらく敵は後者をとると思われますが」
 ファンは考えるところを素直に述べた。
「その通り、私も君と同じ意見だ」
 結局、ファンはアルフリートには逆らえない。彼の上官はクレティナス王国において最強と言われる第四四艦隊の司令官なのだ。幾多の戦いですでに数えきれぬ戦果を上げて国王の信頼も厚い。それに、アルフリートは彼にとっても人間的に嫌いなタイプではなかった。両親から受け継いだ身分を背に尊大ぶる貴族や、職務に忠実で人を殺すことに何のためらいも持たない軍人と違って、アルフリートは温厚で優しい人物であった。たまたまファンに対しては意地の悪いところを見せていたが、それとて、部下との親交を深めるための彼の手段にすぎなかったのである。
 宇宙標準暦一五六二年、銀河辺境部に台頭した恒星間国家クレティナス王国は、戦乱の続く銀河のなかで急速にその勢力を伸ばしていた。英明で知られる国王アスラール三世を中心に、各地に艦隊を派遣し膨張の一途をたどっていたのである。ところが、この年になって、クレティナス王国は一つの壁にうちあたっていた。銀河皇帝ゼリュートを中心とする千年帝国(銀河帝国)との衝突である。連戦連勝をつづけてきたクレティナス王国軍は、ここにきて敗北を重ねた。千年帝国の一将であるユークリッド・タイラーという男の前に。「バルディアスの門」、千年帝国(銀河帝国)が辺境防衛のために建設し、名将ユークリッド・タイラーが守る宇宙要塞である。この要塞は、クレティナス王国が銀河中心部に進出するためのルート上に位置し、千年帝国の重要拠点の一つとなっていた。標準暦の二月以来、クレティナス王国は三度の遠征を行いながら未だに要塞は健在であった。
 アルフリート・クライン率いる第四四艦隊は、「バルディアスの門」攻略に派遣された四度目の遠征軍だったのである。
「閣下!」
 全方向警戒レーダーを監視していた情報士官が突然、声をあげた。
「右舷二時の方向250光秒にエネルギー反応。未確認の艦影あります。おそらく、銀河帝国軍の索敵艦と思われます」
 指揮官席に身を沈めていたアルフリートは眉をひそめた。先程のファン・ラープの報告では、この近くには艦影はなかったはずである。
「次元シールドつきの索敵艦か?」
 時空震動というワープ航法にも使われている原理を外壁に応用し、ある一定量の空間異常を発生させると、艦艇は通常のレーダーでは補足できなくなる。現在の技術ではまだ完全にレーダーから姿を消すことはできなかったが、妨害電波や反重力磁場の併用によって長距離からの索敵には十分対応できたのである。
「どうやら、こちらは見つけられてしまったようですね」
 ファン・ラープ准将は緊張感のない眼差しで上官を見やった。面白いことになってきたと言わんばかりの表情である。常に幸運と供にある男には恐れなどなかった。
「ああ、数時間後には敵の艦隊と遭遇できるはずだ」
 コンソールのディスプレイに映しだされる敵要塞と艦隊の位置関係を見ながらアルフリートは言った。
「しかし……あちらが来るのを待っている理由もない。どこかこの近くで、こちらが先に布陣できそうな星系はないものか」
 それには、宇宙航海のベテランである「飛龍」艦長のベルクナー大佐が応えた。
「現在位置から十時の方向420光秒の距離にベルブロンツァと呼ばれる恒星系があります。その星系には二重太陽と多量の放射性物質が存在していてレーダーが使えませんが、わが艦隊の方が先に到達できると思います」
 アルフリートはディスプレイスクリーンに星系の位置を示し、ベルブロンツァの詳細な資料を呼び出すと数瞬後、笑みを浮かべた。
「なるほど、ベルブロンツァか。面白い」
 ベルブロンツァ星系は要塞「バルディアスの門」より距離を隔てること○・三光年の場所にあった。この宙域は二つの巨大なガス状の恒星アーメスとラーが引き起こす重力磁場の干渉によって、重力異常が発生し、その周囲をドーナツ状に放射性ガス物質が囲んでいたため、宇宙でもかなり危険な宙域となっていた。
 アルフリート・クライン率いるクレティナス王国軍第四四艦隊は、その片方の恒星アーメスを背に、濃いガス雲の中に隠れるように布陣した。時おり、ガスの中を走る電気エネルギーの閃光が艦を揺らしたが、特別の被害が発生することはなかった。
 そして、三時間三○分後、彼らの前に千年帝国が誇る六○○隻の宇宙艦隊が出現し、クレティナス軍の布陣に呼応するように対峙することになった。




ホームへ